関取場跡|戦国時代、後北条氏によって設けられた関所(石碑を読む)

関取場跡|戦国時代、後北条氏によって設けられた関所(石碑を読む)

2020-05-14

今回も鎌倉市内に点在する石碑を読んでみようと思います。
今回は昭和時代に建てられた石碑、鎌倉では珍しい戦国時代についての石碑です。

関取場跡(せきとりばあと)

関取場跡碑

石碑に書かれている文字は?

當所ヲ里俗せきばトス往時ハ関取場ト稱セル由 天文十七年北條氏関ヲ此ノニ設ケ関錢ヲ取ツテ荏柄天神社頭造營ノ料ニ充テシメタル「」トス其の掟書ノ文章「」ニ藏セラレテ荏柄天神社ニ在リ

昭和六年三月建 鎌倉町青年團


この場所を「せきば」と言う。以前は「関取場」と言った。1548年、後北条氏は関所をこの場所に儲けて通行料を取って荏柄天神社の運営費に充てた。この法令文書が荏柄天神社に保管されている

昭和6年3月建立 鎌倉町青年団

※間違ってたらごめんなさい。

事前知識(漢字編)

:現在の「称」 → しょう ①呼び名 ②ほめて称える 等
:現在の「処」 → しょ ①場所 ②決める 等
:現在の「蔵」 → ぞう ①隠して閉まっておく ②くら 等

昔の漢字って、書き順も多くてややこしいですね。

事前知識(知識編)

里俗

地方の風習。土地のならわし。

天文17年

天文17(1548)年は戦国時代に該当しますので、書かれている北条氏は後北条氏(玉縄北条氏も?)の事だと分かりますね。

関所で徴収したお金で運営費を賄っていた「荏柄天神社」の石碑には、北条氏康(第3代小田原北条氏)が行ったと書かれています。

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掟書

大名が用いた法律・定めのようなもの

最近の案内板は、神社仏閣に関するものが多いので、このような史跡や歴史に関する内容が書かれた石碑はいい勉強になりますね!

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