染屋時忠|奈良時代の鎌倉・長谷周辺にいたとされる豪族とそのゆかりの地(石碑を読む)

染屋時忠|奈良時代の鎌倉・長谷周辺にいたとされる豪族とそのゆかりの地(石碑を読む)

今回は長谷にある石碑「染屋太郎大夫時忠邸阯」の石碑を読んでみることにしました。昔の人の名前って姓と名の間に役職とか付いてくるので難しいですよね。

いまで言う「○○株式会社○○部の ○○課長」ってことなんでしょうけど。

この石碑を読むと、鎌倉時代以前の著名人を知ることができました。

染屋太郎大夫時忠邸阯

染谷時忠邸址

「染屋太郎大夫時忠邸阯」石碑の場所

この石碑、一時期撤去されてたんですよ・・・。
付近の住宅建築が理由だと思うんですけど、だから一時的に無くなることもあります。

永遠に無くならないだけましですね。貴重な昔の遺跡ですし。

石碑に書かれている文字は?

染屋太郎時忠ハ藤原鎌足ノ玄孫ニ當リ南都東大寺良辨僧正ノ父ニシテ文武天皇ノ御宇(皇紀一三五七~一三六ニ)ヨリ聖武天皇ノ神龜年中(皇紀一三八七~一三八八)ニ至ル間鎌倉ニ居住シ東八箇國ノ総追捕使トナリ東夷ヲ鎮メ一ニ由井長者ノアリト傳ヘラルルモ其事蹟詳ナラズ 此ノ南方ニ長者久保ノ遺名アルハ彼ノ邸阯ト唱ヘラル 尚甘縄神明宮ノ別當甘縄院ハ時忠ノ開基ナリシト伝フ

昭和十四年三月建 鎌倉町青年團

染屋時忠は藤原鎌足の玄孫(やしゃご|4親等の直系親族)で、奈良の東大寺開山の良弁の父であり、文武天皇~聖武天皇の治世の間、鎌倉に住み関東地方の(今で言う)警視総監となり東国武士を統治し、由井の長者と称されるも、その詳しい事は分かっていない。この南方に長者久保と名前が残っているのは、彼の家があった場所と言われている。なお、甘縄神明宮の別当甘縄院は染屋時忠の開基と伝わっている。

昭和14年3月建立 鎌倉町青年団

事前知識(漢字編)

:現在の「称」
:現在の「所」

事前知識(歴史編)

御宇(ぎょう)

天子(天皇)治世の期間。御代(みよ)。

皇紀

初代「神武天皇」即位の年を元年と定めた日本の紀元。西暦紀元前660年

追捕使(ついぶし)

昔の警察のこと。海賊、反乱を鎮圧する目的のための職。

良弁(東大寺開山)

奈良の東大寺を開いた良弁僧正が天平勝宝七年(755)に開山したと伝わる鎌倉市伊勢原にある「大山寺

その大山縁起絵巻には、染屋時忠の子良弁が鷲にさらわれて、奈良の僧侶に育てられ東大寺を建立、そして良弁を探す父母との再会、故郷にもどって大山寺を建立という物語が書かれています。

奈良時代の鎌倉

染屋時忠は、文武天皇~聖武天皇の時に活躍したということで、飛鳥時代~奈良時代の鎌倉に関することが書かれています。

鎌倉は鎌倉幕府ができた鎌倉時代から栄えてきたと思いきや、御成小学校は「鎌倉郡衙(昔の役所)」の跡だったことが分かってますし、その付近で発見(今小路西遺跡)された木簡は天平5年(733年)と書かれました。

御成小学校(鎌倉郡衙跡、旧御用邸門)

ちなみに、門標に書いてる「鎌倉市御成小学校」の文字は、鎌倉に住んだ俳人「高浜虚子」が筆をとりました。

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奈良時代からある古刹

甘縄神明宮と杉本寺は奈良時代の創建なので、今の由比ガ浜大通りや金沢街道などは通っていて、奈良時代から鎌倉はある程度都市機能があったんでしょうね!

で、染屋時忠が藤原鎌足を祖に持っていて、父は良弁僧正って、これだけ見たら奈良です(笑)

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甘縄神明神社は鎌倉市長谷にある神社、鎌倉で一番古い神社とされています。

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稚児塚(六国見山)

六国見山展望台から山ノ内方面へ向かう山道を100メートルほど進むと、ちょっと大き目な宝篋印塔が建っていて、由井の長者「染屋太郎大夫時忠」の子の墓と言われています。

なぜ、由比ガ浜に関係ある人がこんな遠い場所に?

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